東京高等裁判所 昭和58年(う)324号 判決 1985年1月21日
目次
主文
理由
第一 訴訟手続の法令違反の主張(控訴趣意第一、第二)について
一 論旨の大要
二 本件の審理経過
1 事案の概要と争点
2 本件公訴事実
3 本件予備的訴因
4 第一次第一審判決
5 第一次控訴審判決
6 第二次第一審判決
三 当裁判所の判断
1 結論
2 いわゆる攻防対象論に関する最高裁判所の判例について
3 破棄差戻判決の拘束力について
4 結語
第二 事実誤認の主張(控訴趣意第三、第四)について
一 論旨の大要
二 当裁判所の判断
三 補説<省略>
1 前提となるべき事実<省略>
2 証人深沢雄一の供述の信用性について<省略>
(一) 問題の所在<省略>
(二) 供述の概要<省略>
(三) 巨視的観察との符合<省略>
(四) 証人岩上初江の供述による裏付け<省略>
(五) 事故直後における雄一の供述内容<省略>
(六) 客観的事実との整合性<省略>
3 証人中村信子の供述の信用性について<省略>
(一) 問題の所在<省略>
(二) 自己矛盾の供述<省略>
(三) 証言内容の不合理性<省略>
4 被告人の注意義務違反について<省略>
5 結語
別紙一<省略>
別紙二<省略>
控訴人 被告人 原審弁護人
被告人 公文啓二
弁護人 高橋正八 外一名
検察官 津村節藏
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人高橋正八、同木戸弘共同作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官津村節藏作成名義の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。
第一訴訟手続の法令違反の主張(控訴趣意第一、第二)について
一 論旨の大要
論旨は、要するに、第一次第一審判決は、被告人にかかる業務上過失傷害被告事件の本位的訴因についてはこれを認めるに足りる証拠がないとして予備的訴因につき被告人を有罪としたものであるが、これに対し、検察官からの控訴申立はなく、被告人のみが事実誤認等を理由に控訴を申し立てたところ、第一次控訴審判決は、第一次第一審で取り調べた証拠による限り本件につき被告人の過失を肯認するにはなお合理的な疑いが残るとして事実誤認を理由に第一次第一審判決を破棄し、更に証拠調べを尽くすよう本件を原審に差し戻した、然るに、第二次第一審である原審は、新たに証拠調べをなしたうえ、突如として第一次控訴審以来訴訟当事者の攻防の対象から外されていた本位的訴因につき被告人を有罪と認定したのであつて、原判決の被告人に対するこのような不意打ちは、新島ミサイル試射場関係事件に関する最高裁判所昭和四六年三月二四日大法廷決定(刑集二五巻二号二九三頁)及び大信実業株式会社事件に関する同庁昭和四七年三月九日第一小法廷判決(刑集二六巻二号一〇二頁)の趣旨に違反し、ひいては法令の解釈適用を誤つた違法があり、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
所論は、法令解釈適用の誤りをいうが、右に要約したとおり、原審が被告人に対してした刑罰法令の解釈適用の誤り(判決内容の誤り)を主張するものではなく、原審が判決をなすに際し遵守すべきであつた裁判規範に従わなかつたことの違法(判決した手続の誤り)を主張するに帰するから、その実質において原審の訴訟手続の法令違反を主張するものと解すべきである。
そこで、所論に鑑み、本件公訴提起から原判決に至る審理経過を逐つてみることとする。
二 本件の審理経過
1 事案の概要と争点
被告人は、後記公訴事実記載の日時場所において、大型貨物自動車を運転して、信号機により交通整理の行われている交差点内を直進中、交通渋滞のため、同交差点出口に設置されている横断歩道の直前で一時停止し、進路の空くのを待つて再発進したのであるが、横断歩道を通過したころ後車が警音器を鳴らしたので、サイドミラーで左右後方を見たところ、左側後輪(二軸式)の軸タイヤと引張りタイヤとの中間付近に、子供用自転車に乗つた被害者深沢雄一(当七年)が転倒しているのを発見して停止した。被害者は、本件事故により、加療約一年八か月間を要し、なお後遺症を伴う重傷を負つた。
検察官は、被害者は、一時停止していた被告人車の前方の横断歩道を右から左に横断中、発進した被告人車に衝突されて転倒したものであるとし、被告人には、自車前方の対面信号の表示、横断者の有無、動静及びその安全の確認を怠つた業務上の過失があることを理由に、千葉地方裁判所に公訴を提起した(後記2参照。本件の本位的訴因)。
第一次第一審においては、被害者の進行経路、事故発生の態様が争われたが、検察官は、その第七回公判期日において、被害者は被告人車の左方に居たものとして(但し、その進行方向については明確にしない。)、被告人が、「自車の周辺を注視し、歩行者、自転車等の有無及び動静に留意し、その安全を確認して発進すべき」業務上の注意義務を怠つたとする訴因を予備的に追加した(後記3参照。本件の予備的訴因)。
右各訴因の詳細並びにこれに対する第一次第一審、第一次控訴審及び原審の各判断は、以下のとおりである(なお、以下に掲げる引用文中の傍点は、当審において付したものである。また、明白な脱字については、〔 〕内に補つた。)。
2 本件公訴事実
被告人に対する昭和五四年一〇月二六日付起訴状記載の公訴事実(本件の本位的訴因)は、次のとおりである。
「被告人は、昭和五四年一月三一日午後四時二〇分ころ、業務として大型貨物自動車を運転し、千葉県船橋市前原西一丁目三六番八号先の交通整理の行われている交差点を習志野市方面から船橋市宮本方面に向かい進行中、交通渋滞のため同交差点出口に設けられている横断歩道の直前に停止した後発進するにあたり、同交差点の対面信号機の表示に注意するとともに、自車直前の横断歩道を横断する者の有無及び動静に留意し、その安全を確認して発進すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、前車の動きに気をとられ右信号機の表示に注意せず、かつ、横断者の有無等その安全確認不十分のまま漫然時速約二、三キロメートルで発進した過失により、右横断歩道を信号に従い右から左に横断中の深沢雄一(当時七年)運転の自転車に気がつかず、同車に自車左前部を衝突転倒させたうえ、その右腕を左後輪で轢過し、よつて同人に加療約一年八か月間を要し、肩関節部より前腕中央部に至るケロイド形成等の後遺症を伴う右上腕骨骨折等の傷害を負わせたものである。」
3 本件予備的訴因
検察官は、昭和五五年一一月六日付を以て、前記公訴事実中、「発進するにあたり」の次から「轢過し」とある部分までの間を左のとおりとする訴因を予備的に追加する旨の「訴因の予備的追加請求書」を差し出した。すなわち、右部分を、「自車の周辺を注視し、歩行者、自転車等の有無及び動静に留意し、その安全を確認して発進すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、自転車等の有無等その安全確認不十分のまま漫然時速約二、三キロメートルで発進した過失により、自車左方にいた深沢雄一(当時七年)運転の自転車に気づかず、同車に自車左側部を衝突転倒させ、その右腕を左後輪で轢過し」とするというものである。
検察官は、同月一四日の第一次第一審第七回公判期日において、右書面に基づき訴因の予備的追加を請求した。
これに対し、弁護人は、被害者が右から左へ行こうとしたのか、左から右へ行こうとしたのか方向性が不明であり、その如何によつては被告人の過失態様に差異を生ずるので、この点を明らかにされたいと申し立てたが、検察官は、裁判官の「被害者の進行方向については右から左へ及び左から右への両方を意味するということか。」との問に「そのとおりである。」と答えたのみで、方向性を明らかにしなかつた。裁判官は、「この点につき釈明しなければ、弁護権を行使できない。」とする弁護人の意見に対し、「防禦ができない程広い範囲を意味するとは考えられないので、裁判所は釈明権を行使しない。」旨言明し、訴因追加自体についての弁護人の意見を徴したうえ、これを許可した。
ちなみに、第一次控訴審においては、右予備的訴因は訴因としての特定が極めて不充分であるとして、釈明権を行使せず、漫然訴因の追加を許可した第一次第一審裁判所の訴訟手続の法令違反が主張されたが、第一次控訴審判決は、本件予備的訴因においては、業務上過失傷害罪の構成要件が具体的に明示されており、「被告人側としてはこれに対し深沢車の進行して来た方向や運転態様を主張立証して被告人の過失の成立を争うことが可能であつて、実質的防禦権の行使を妨げられることはないのであるから、右予備的訴因の特定に欠けるところはな」いとして、右主張を排斥している(なお、右判断に対しては、被告人側から上告の申立はなされていない。)。
4 第一次第一審判決
千葉地方裁判所は、昭和五六年四月二四日、本件(同庁昭和五四年(わ)第九九四号事件)につき、被告人を罰金二〇万円に処する旨、有罪の判決をした(求刑禁錮八月)。
しかし、同判決は、本件の本位的訴因に対しては、前記2の公訴事実の記載中、「被害者が右横断歩道を信号に従い右から左に横断したとあること並びに被害者の乗つた自転車を被告人〔車〕の左前部で衝突転倒させたことについて、いずれも、これを認めるに足りる証拠がない。」旨説示して、これを認定しなかつた。すなわち、本位的訴因に沿う証拠としては、「被害者深沢雄一に対する当裁判所の尋問調書、司法警察員作成の昭和五四年四月一三日付実況見分調書中の深沢雄一の説明部分並びにその信用性を裏づける証拠として証人今泉清、同深沢美紀子、同阿野美幸の当公判廷における各供述、岩上初江に対する当裁判所の尋問調書が存在するが、他方本件事故直前及び事故直後の目撃者である証人中村信子は当公判廷において、被害者は被告車輛後方から進行してきて左側部分に進入した旨の供述をしているのであつて、結局、本件事故の認定については、右証人深沢雄一の証言と同中村信子の証言のいずれを採用するかによつて被告人の過失の有無及びその程度が左右されることになる」との見解を示し、各証拠を対比して検討した結果、証人深沢雄一の証言及びその信用性の裏付けとなる各証拠には種々の疑問を容れる余地があるのに対し、証人中村信子の証言には信用性が認められ、これが真実に符合するものと認めざるを得ないとしているのである。
ところで、同判決の認定した「罪となるべき事実」は、次のとおりである。すなわち、「被告人は、昭和五四年一月三一日午後四時三〇分ころ、業務として、大型貨物自動車(足立一一か八九九四号)を運転して千葉県道五一二号線を千葉県習志野市方面から同県船橋市宮本方面に向つて進行中、同県船橋市前原西一丁目三六番地の八地先の同県道と国道二九六号線との信号機により交通整理の行なわれている交差点に差しかかり、折から自車進行方向の上り車線の車輛が渋滞していたため右交差点上の船橋市宮本方面寄り横断歩道直前で一旦停止したが、自車は全長一〇・八三メートルに及び地上から荷台下部までの空間が一メートル余も存在するうえ、同所は自車左側部から道路左側ガードレールまでの距離が一メートル足らずの狭小なうえ、路面に凹凸が存在したから再度発進するにあたつては、自車の周辺を注視し歩行者自転車等の有無及び動静に留意してその安全を確認するのはもとより、特に自車左側の安全には十全を尽くすべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、折りから通行中の中学生中村信子が自車前方の横断歩道を右から左へ渡り切り更に自車左側部に沿つて後方へ歩いていくのを自車左サイドミラーで確認し、同女が自車左側〔を〕通過するのを待つたのみで、その直後に深沢雄一(当時七歳)が自転車に乗つて自車後方から自車左側に進入して来るのに気づかず、右横断歩道の歩行者用信号機が赤色燈火になつたのを機に直ちに漫然時速約二キロメートルの速度で発進した過失により、自車左側を並進中の前記深沢雄一運転の自転車に自車左側部を接触せしめ、同所において同人の右腕を自車左後輪で轢過し、よつて、同人に対して加療約一年八か月を要し、肩関節部より前腕中央部に至るケロイド形成の後遺症を伴う右上腕骨骨折等の傷害を負わせたものである。」というのである。
右認定事実は、被告人の業務上の注意義務違反の存否の点を除けば、略々被告人側の主張に沿う事故発生態様を認めたものであるが(但し、第一次第一審の記録によれば、事故発生時刻は、公訴事実記載のとおり午後四時二〇分ころであることが明らかであつて、同判決がこれを「午後四時三〇分ころ」と記載しているのは、明白な誤記と認められる。)、弁護人は、第一次控訴審において、右認定は予備的訴因とも異り、被告人に不意打ちを与え、その防禦に実質的に不利益を及ぼしたものであるとして、訴訟手続の法令違反の主張をした。これに対し、第一次控訴審判決は、右認定事実は、「これを予備的訴因の記載内容と対比すると、被告人車の形状、同車左側の道路状況等をさらに具体的に示して被告人の同車左側の安全確認義務を明確に掲げ、深沢車が被告人車の後方からその左側に進入し並進したことを明らかにし、被告人がそれを看過して発進したことを過失として認定するのであるから、基本的な事実関係に変更のないまま、すなわち公訴事実の同一性を保ちつつ、注意義務や過失行為が一そう明確、限定的に認定されているのであり、しかもそれらの点は、深沢車の進行方向、被告人が同車を現認し得たかなどについて双方当事者の意見が対立し、証拠調が行われた結果によるものであつて、被告人に不意打を与えその防禦に実質的な不利益を及ぼしたものではないから、原審が訴因変更の手続を経ることなく、前示のような罪となるべき事実を認定したことに何らの違法もない。」として論旨を排斥し、本件予備的訴因と第一次第一審判決の認定事実との間に同一性が保たれていることを肯認した(なお、右判文中には、「公訴事実の同一性を保ちつつ」との表現が見られるが、事柄の性質上、その趣旨とするところは、予備的訴因と認定事実との間に、訴因変更手続を必要としない程度の同一性が認められることをいうにあるものと解すべきである。右判断に対しても、被告人側から上告の申立はなされていない。)。当裁判所の判断もこれと同一に帰するので、以下、第一次第一審判決は、本件予備的訴因そのものにつき被告人を有罪と認定したものであることを前提として、検討を進めることとする。
5 第一次控訴審判決
右第一次第一審判決に対し、検察官から控訴申立はなく、被告人及び弁護人が、訴訟手続の法令違反(その論旨及びこれに対する裁判所の判断については、前記3、4に摘記したとおりである。)並びに法令解釈適用の誤り及び事実誤認を理由に、東京高等裁判所に控訴を申し立てた(同庁昭和五六年(う)第九二六号事件)。
同裁判所は、昭和五六年九月八日、訴訟手続の法令違反の論旨を前示のように排斥したうえ、法令解釈適用の誤り及び事実誤認の論旨につき次のとおり判断し、「原判決を破棄する。本件を千葉地方裁判所に差し戻す。」旨の判決を言い渡した。
すなわち、同判決の摘録する論旨は、(一)「自動車運転者は、交差点において赤信号で一時停止し次の青信号に従つて従前の進路を変更することなく直進する場合には、具体的に危険を予測し得る特段の事情がない限り左側方、後方を確認すべき注意義務を負うものでなく、(中略)本件では右特段の事情は全く存在しないから、被告人には原判示のように左後方の安全を確認すべき注意義務はなく、また原判示に従えば被告人が深沢車を現認したときは同車が自車の左側を通過するのを待つか、右側へ自車の進路を変更するか、一時停止するかなどの酷な注意義務を負うことになり、かえつて進路前方左右の注視が疎かになるなどの事態を生じさせることになつて不相当であ」るとする法令解釈適用の誤りの主張並びに(二)<1>仮りに原判示のような内容の注意義務が認められるとしても、「被告人は、本件横断歩道手前から自車を発進するにあたり、その周辺を注視し歩行者、自転車等の有無及び動静に留意してその安全を確認し、特に自車左側の安全を十分確認したのであるが」、本件事故当時の時刻、天候(霧雨)、視界、被告人車サイドミラーへの水滴の附着、自車左側部と道路左側のガードレールとの間の狭小な歩道上を傘をさして歩行していた中村信子の存在などの道路、交通の状況から「子供用自転車に乗つて被告人車の後方から右歩道に進入して来た被害者深沢雄一を発見できなかつたのであり、加えて右状況のもとでは深沢が中村の背後にいることが予測できる状況にもなかつたのであるから、被告人は本件事故について全く過失がなかつたのであ」る及び<2>仮りに被告人に自車左側の安全確認義務を尽くさないで自車を発進させた過失が認められるとしても、「被告人は進路を変更することなく約二キロメートル毎時の速度で直進していたのであるから、深沢が右歩道の左側端を通行すべき義務を履行しておれば被告人車と深沢車とは四〇センチメートル以上の間隔があつて、被告人が自車を深沢車に接触させることは有り得ず、むしろ本件事故は、深沢(中略)の自招行為によつて生じたものであり、被告人において本件事故を回避することは不可能であつたのであり、被告人の前記過失と原判示の深沢の傷害との間に因果関係を認めるべきでない」とする事実誤認の主張であるところ、同判決は、これに対し左のとおり判断した。
まず、右(一)の法令解釈適用の誤りの主張については、第一審の記録に基づき、本件交差点周辺の道路の状況、被告人車及び被害者の子供用自転車の構造、仕様、本件事故発生当時の天候、交通の状況、中村信子の進行経路、被告人車左側部から道路左端のガードレールまでの距離等につき巨細に認定したうえ、「以上の事実によれば、被告人車の停車時において被告人車線側の自転車、歩行者等が直進し又は前記横断歩道を渡ろうとすれば被告人車左側部と前記ガードレールとの間の主として本件路肩部分を通行するほかはないのであり、このような自転車等が右路肩部分を通行中に被告人車が発進すれば、前記のような被告人車の形状、至近距離での大型貨物自動車の走行に伴う振動、圧迫感に加え、当時の天候状態、本件路肩部分の形状、自転車運転者の年齢、技倆等からして被告人車が自転車等に接触し或いはこれらの者がよろけたりスリツプしたりして被告人車と接触する可能性のあることは十分考えられるのであり、被告人車及び本件路肩部分の形状、当時の天候等を十分承知しているうえ右路肩部分を通行する中村との接触の危険性をも認識していた被告人は、前記のような自転車等のあり得ることやそれらとの接触の危険性を十分予見できたものと認められるから、被告人には自車を発進するにあたり、自車の周辺を注視し、とくに自車左側の歩行者自転車等の有無及び動静に留意しその安全を確認すべき注意義務があり、従つて現に被告人車左側の本件路肩部分にいる、又は新たに右路肩部分に進入して来るとみられる自転車等を現認した場合にはその通過を待つ等事故を回避するための措置をとらなければならない注意義務のあることが明らかであ」るとして、論旨を排斥した。
同判決は、次いで、前記(二)の<1>の事実誤認の主張に論及し、「そこで、被告人に右注意義務に違反する過失があつたか否かについて検討すると、被告人の右注意義務の懈怠をいうためには、被告人車の発進時に被害者の深沢車が現に被告人車の左側にあつたか、あるいは被告人車の左側に進入しようとしている状態にあつてそれを被告人が現認しうる状態にあつたことが前提となるところ、被告人は捜査以来一貫してそのような状態になかつたと供述し、被害者深沢雄一は原審において、前記横断歩道を右から左に横断し被告人車に添つて左折したときに被告人車の前部を自己の自転車の後部スタンドに衝突された旨証言し、これに対し原審証人中村信子は傘をさして被告人車左脇を後方に歩く途中深沢車と擦れ違つた旨供述して互に対立するが、深沢の傷害の部位、転倒した自転車の位置等を勘案しながら深沢の証言内容と第三者である中村の証言内容とを対比検討するときは、原判決の詳細説示するとおり、中村の証言を措信すべきものと認められるところ、原判決は、(中略)『被告人運転車輛のサイドミラーの位置は地上から二・八二メートルの高さにあつて、見通し状況は極めて良く、中村信子及び深沢雄一の通行状態が弁護人主張のとおり(同女は地上から一八〇ないし一九〇センチメートルからレインコート下部までの空間の視界を遮つていて、後方から来た深沢の頭部の位置は一メートル位であつた。)、或いは、如何なる位置関係にあつたとしても左サイドミラーによる後方の見通しは十分可能なものであつた』と」認定しているが、「原判決が被告人車の左サイドミラーの見通し状況を認定するのに依拠したとみられる検証調書添付の第三図は何ら遮蔽物のない状況で被告人が左サイドミラーによつて深沢車のハンドル等を現認できる最短距離等を検討したに止まるものであつて、右検証調書によつては傘をさした中村の背後に深沢車が入つていたときでも被告人が同車を現認しえたか明らかでなく、他にこの点を認定しうる証拠はない。のみならず、深沢車の進行に関し措信し得る唯一の証拠である前示中村の原審証言によれば、同女は横断歩道から三、四メートル習志野市方面に進んだ地点で既に発進していた被告人車の真中より少し後方付近で深沢車と擦れ違つたとするものの、その際特に同車を避ける動作をとらなかつたというのであつて、これを被告人車左側路肩部分の空間が前示のように狭く、しかも同女は傘をさしていたこと及び同女にとつて深沢車と擦れ違つた場所の正確性は必ずしも重要なことでなかつたこと、原審検証調書によると本件横断歩道手前に停止した被告人車の最後部は前示路肩部分ガードレール東端よりさらに東側にはみ出ることを併せ考慮すると、同女が深沢車と擦れ違つた場所として供述するところは正確ではなく、むしろ被告人が終始供述するように被告人車の最後部近くのガードレール東端を過ぎて空間が広くなつた付近と認むべき蓋然性が強いというべきであり、原判決が被告人の供述を採つて、『中村が自車左側を通過するのを待つて発進した』旨、従つてその後深沢車は同女と擦れ違い被告人車後方からその左側路肩部分に進入して来たと認定するのも首肯することができる。しかしながら前示のとおり、右ガードレール東端付近は民家が本件小路を挟んで国道の歩道部分を遮る形になつているから、深沢車が、中村と擦れ違い本件路肩部分に進入する以前に(イ)歩道部分を通り本件小路を横断して来た場合、(ロ)本件小路を進行して来て左折した場合には、被告人は中村が自車左側を通過するのを確認した時点でも深沢車を現認することができない疑いがあり、しかも原審で取調べた証拠によつては深沢車がそのように進行して来た可能性を否定することはできない。そうとすると、被告人は自車を発進するにあたり、中村が自車左側を通過するのを確認したとしても深沢車を確認しえたと断定することはできず、さらに自車前方や右側方の安全確認をしなければならない被告人が自車左側路肩部分に新たに進入して来る自転車等のあることを予測するのは極めて困難であり、そのように期待することも相当ではない」旨の判断を示し、結局、「本件につき被告人に過失があつたとするには、原審で取調べた証拠による限りなお合理的な疑いが残るのであつて、その解明のためにはさらに本件の具体的状況に則した検証等の証拠調が必要と認められるから、この段階で被告人の過失を認めた原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな重大な事実誤認がある。」として前記(二)の<2>「の論旨についての判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条本文によつて本件を千葉地方裁判所に差し戻すこととし」たものである。
同判決の論旨(一)に対する判断と論旨(二)の<1>に対する判断との関係は、いささか難解というべきである。過失犯の未遂の観念を容れる余地のない現行法制の下においては、具体的に発生した法益侵害の結果と結びつかない過失を論ずることは無益であるから、注意義務の内容となるべき予見義務、回避義務は、具体的結果(本件においては、深沢車との接触による傷害の発生)を対象とするものでなければならないことは、言うまでもないところである。しかし、この予見、回避義務は予見、回避の可能性の存在を前提とするところ、通常の場合、特定の被害者に対する特定の態様の結果発生を具体的に予見し得たことを直接認定することは困難であるから、右予見、回避義務は、特定の具体的結果を包含しつつ、これより広いやや一般的な形で設定される。かくして設定される一般的注意義務は、あくまでその中に包含されている具体的結果に対する予見、回避義務を肯認するための手段に過ぎないのである(たとえば、交通整理の行われていない見とおしのきかない交差点における左右道路からの進入車両との接触を予見、回避すべき義務が認められれば、左方道路から進入した甲運転の普通乗用自動車との接触という具体的結果についての予見、回避義務も肯認される。)。従つて、現実に発生した具体的結果をその中に包含し切れないような一般的注意義務を設定することは、問題点を整理して考察するための一作業過程としてはともかく、最終的な過失の有無を判定するための基準としては無意味である。このような場合には、あらためて具体的結果を包含し得るような予見、回避義務の設定が可能であるかを吟味し直す必要があり、これが否定される場合には、注意義務の存在そのものを否定すべきである。
このような観点からすれば、右判決は、一般的注意義務の存在を肯認したうえで、その懈怠の有無を検討するという構成をとつてはいるが、右後段の部分で注意義務の存在それ自体をも問題としているものと理解してよいであろう。
右判決に対しては、当事者双方から上告の申立はなされず、本件は差戻審である千葉地方裁判所に係属することとなつた(同庁昭和五六年(わ)第九一三号事件)。
6 第二次第一審判決
差戻後の第一審(以下「原審」という。)第一回公判期日においては、差戻前の第一審(以下「旧審」ということがある。)公判手続全部を更新した後、立会検察官において「本件の本位的訴因及び予備的訴因につきいずれも維持する。」旨を明らかにしたうえ、(一)本位的訴因につき、<1>被告人の対面する信号機の表示は、黄色又は赤色との主張である、<2>被告人車が発進する際、深沢車の一部が横断歩道上にかかつていたとする趣旨である、<3>「自車左前部」とは、被告人車の前面の左側の趣旨である、<4>「左後輪で轢過」とある左後輪は、前側(軸タイヤ)と後側(引張りタイヤ)の双方を含む趣旨である、<5>第一次的な注意義務としては「横断する者を発見する注意義務」を主張する、(二)予備的訴因につき、<1>「自車の周辺」とは、「前方」と「左側」の趣旨である、<2>「歩行者」とあるのは、不要な記載であり、「自転車」とあるのは、「自転車に乗つている者」を指す、<3>「自車左方」とは、「車の左側方」を指す、<4>「自車左方にいた深沢雄一運転の自転車」とは、「自車の左方を、深沢雄一が自転車に乗つて通行していた」との趣旨であり、かつ、「深沢雄一は、被告人運転の車の後方から左側に進入して来た」と主張する旨、釈明した。
原審は、(一)検察官の請求に対し、<1>「本件現場における被告人運転の車の左後方から自転車に乗つて進行してくる被害者の見通しの可否」についての検証及び<2>旧審証人中村信子、同岩上初江、同深沢美紀子の再取調べ(中村信子以外の旧審証人の再取調べについての弁護人の意見は「必要なし」である。)をいずれも採用して施行し、<3>旧審証人深沢雄一の再取調べの請求を却下し、(二)弁護人の請求に対し、<1>旧審証人石津定雄の再取調べ及び<2>「被告人が左サイドミラーで深沢車を現認できなかつた事実」についての鑑定の請求をいずれも却下し、(三)職権により、<1>旧審証人今泉清の再取調べ及び<2>被告人質問を決定して施行した。
原審第五回公判期日に検察官の論告が行われたが、検察官は、事実関係についての主張の冒頭において、第一次控訴審の「破棄判決によつて指摘された事項を中心に検察官の意見を述べる」ことを明らかにしたうえ、本件予備的訴因に関する意見を六項目に亘り詳細に陳述し、七項において、「なお、本位的訴因についての検察官の意見は、差戻し前の第一審の論告において詳細に論述したとおりであつて、これに証人岩上初江、同深沢美紀子の差戻し後の証言が存することを付言するにとどめる」旨陳述した。
これに対し、原審第六回公判期日における弁論において、弁護人は、本件本位的訴因及び予備的訴因並びにこれらに対する第一次第一審、第一次控訴審における審理判断の経過を仔細に逐つたうえ、「本位的訴因に関する事実上及び法津上の主張」と題して、検察官は、本位的訴因を排斥した第一次第一審判決に対して控訴せず、また、第一次控訴審における答弁書中で、旧審の無罪認定は到底納得し難い旨主張しながら、本位的訴因についての旧審の無罪判断を全面的に支持した第一次控訴審判決に対しても上告していないのであるから、右判断は確定しており、差戻後の原審において、検察官が本位的訴因を維持すると主張したり、旧審証人岩上初江、同深沢美紀子の再取調べを請求したりしているのは、第一次控訴審の破棄判決の拘束力を無視した不当な訴訟遅延行為であると論難したうえ、本位的訴因の実体面についても、差戻審における証人岩上初江、同深沢美紀子の供述に新たな進展は全く見られないのみならず、同今泉清の供述によれば、同人による捜査の公正さ、正確性に一層の疑念を生じ、同人作成の供述調書、実況見分調書、写真撮影報告書等の信用性にも疑義を生じたとして、無罪を主張している。
以上の審理経過の後、原審裁判所は、昭和五八年一月一一日の第七回公判期日において、本位的訴因につき被告人を有罪と認め、被告人を罰金二〇万円に処する旨の判決(以下「原判決」という。)を言い渡した。
原判決の認定した「罪となるべき事実」は、次のとおりである。
「被告人は、昭和五四年一月三一日午後四時二〇分ころ、業務として大型貨物自動車を運転し、千葉県道五一二号線を千葉県習志野市大久保方面から同県船橋市宮本方面に向け進行して、同市前原西一丁目三六番八号先の信号機によつて交通整理の行われている十字形交差点にさしかかり、交通渋滞のため同交差点の出口に設けられている横断歩道の交差点内側直前に停止し、進行する機会を待つているうち、しばらくして先行車が進行したので発進しようとしたが、右停止場所は対面信号機の表示が見えない地点であり、また交通渋滞の際は自転車に乗つている者も横断歩道を通行することが予想されたので、このような場合、自動車運転者としては、前方の横断歩道を横断する歩行者や自転車乗りの有無を確認して発進すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、一人の歩行者が右から左に横断して自車の左側を後方に向け歩行して行くのを見ただけで、先行車との間隔が開いたことに気をとられ、その後の横断者の有無を十分確認しないで発進した過失により、おりから歩行者用信号機が青色の燈火を表示しているのに従い子供用二輪自転車に乗つて右横断歩道を右から左に横断を始め、道路左側に達しようとしていた深沢雄一(当時七年)に気づかず、自車左前部付近を右自転車に衝突させて同人を路上に転倒させたうえ、その右上腕部外側付近を自車左後輪で轢き、よつて同人に対し加療約一〇か月間を要する右上腕骨骨折、右上肢皮膚剥脱創等の傷害を負わせたものである。」
ちなみに、原判決が被害者の加療期間を「約一〇か月間」と記載しているのは、「約二〇か月間」(すなわち、本件公訴事実及び第一次第一審判決に「約一年八か月間」とあるのを、月数表示に換算したもの)の明白な誤記と認めるのが相当である。
そして、原判決は、「有罪認定理由の補足」と題する項の「第一、本件の審理経過」の一、二において、第一次控訴審判決に至るまでの経過を概観した後、その三において、第一次控訴審判決にもかかわらず、本位的訴因について有罪を認定したことの訴訟手続上の根拠について、次のとおり説示した。すなわち、「差し戻しを受けた当裁判所(以下当審という。)は、右控訴審判決が破棄の理由とした事実上の判断に拘束されるのであるが、右の破棄判決の拘束力は、破棄の直接の理由、すなわち旧審判決に対する消極的否定的判断についてのみ生ずるものであり、その消極的否定的判断の前提或いは裏付けとなつている積極的肯定的事由についての判断は破棄の理由については縁由的な関係に立つにとどまり、なんら拘束力を有するものではない(最高裁判所昭和四三年一〇月二五日第二小法廷判決)。
そこで、当審としては、控訴審判決(その過失理論及び判断過程には理解し難いところがある。)の事実上の判断のうち、本件事故につき被告人に注意義務違反、すなわち過失があると認定した旧審判決の判断を否定する範囲において拘束されるが、その判断の前提となつている本件事故の態様が旧審判決の認定したとおりであることを肯定する部分には拘束されないものであり、この点に関し、右の部分も拘束力があるようにいう弁護人の主張は失当である。
そして、前記のとおり、旧審判決は、本位的訴因を排斥し、予備的訴因につき有罪と認め、この判決に対し、被告人側だけが控訴を申し立てたのであるが、もとより前記本位的訴因と予備的訴因は単純な一罪について訴因として両立し得ない関係にあるものであるから、本位的訴因を排斥した点につき検察官が控訴申立てをしなかつたとしても、その部分が以後当事者の攻防の対象から外れるものということはできず、最高裁判所昭和四六年三月二四日大法廷決定及び同昭和四七年三月九日第一小法廷判決の趣旨は本件に及ばないものというべきで、控訴審判決により旧審判決は全部破棄されたものであるから、当審としては、旧審判決前の状態において、本位的訴因及び予備的訴因をいずれも審判の対象とすることができるものと解すべきで(最高裁判所昭和三〇年一一月三〇日第二小法廷決定、同昭和四八年三月二二日第一小法廷判決参照。)、検察官も当審第一回公判において、本位的訴因及び予備的訴因を維持する旨陳述しているので、本位的訴因を審判の対象としても、被告人に対し不意打ちを与えることにはならないというべきである。」というのである。
三 当裁判所の判断
1 結論
本件の審理経過の概要は叙上のとおりである。そこで、これに基づき、論旨に対する判断を要約して示せば、おおむね次のとおりである。
自動車による交通事故の事案に関し、被害者(自転車乗り)が被告人車の前面を横断中であつたとの本位的訴因につき犯罪の証明がないとして被害者が被告人車の左側方を併進中であつたとの予備的訴因につき有罪を認めた第一審判決に対し、被告人のみが事実誤認等を理由に控訴した場合において、控訴審裁判所が、被害者の進路についての原審の判断を維持しつつ、原判決にはその過失の認定に審理不尽に基づく事実誤認があるとして破棄差戻しをしたときは、(一)本位的訴因はいまだ当事者の攻防の対象から外されたものではなく、また、(二)差戻後の第一審において更に証拠調べをしたうえ本位的訴因につき有罪の認定をすることは、右破棄判決の拘束力に反するものではないと解するのが相当である。
以下、所論に鑑み、その論拠につき補説する。
2 いわゆる攻防対象論に関する最高裁判所の判例について
所論は、本件は、最高裁判所昭和四六年三月二四日大法廷決定(刑集二五巻二号二九三頁。以下「新島ミサイル判例」という。)及び同庁昭和四七年三月九日第一小法廷判決(刑集二六巻二号一〇二頁。以下「大信実業判例」という。)の趣旨が妥当する事案であつて、本件本位的訴因については、これを排斥した第一次第一審判決に対し、検察官が控訴の申立をしなかつたことにより、第一次控訴審以降、当事者の攻防の対象から外されたものと解すべきであると主張する。
そこで、右各判例の事案につき検討すると、まず、(一)新島ミサイル判例の事案は、共謀による<1>住居侵入、<2>昭和三九年法律第一一四号による改正前の暴力行為等処罰に関する法律一条一項違反(改正後の同法一条に同じ。多衆の威力を示し、数人共同しての脅迫、暴行、器物損壊)、<3>傷害の各訴因(右<1>と<2>、右<1>と<3>はそれぞれ牽連犯、右<2>の内容である脅迫、暴行、器物損壊は包括一罪の関係にあるとして起訴されたものと認められる。)のうち、右<2>の一部(暴行、器物損壊)及び右<3>については犯罪の証明がないとして理由中で無罪の説明をし、右<1>と<2>の一部(脅迫)についてのみ有罪の認定をした第一審判決に対し、被告人側のみが控訴を申し立てた案件につき、右無罪部分については、「被告人から不服を申し立てる利益がなく、検察官からの控訴申立もないのであるから、当事者間においては攻防の対象からはずされたものとみることができ」、「このような部分について(中略)事後審たる控訴審が職権により調査を加え有罪の自判をすることは、(中略)職権の発動として許される限度をこえたものであつて、違法」であるとしたものであり、(二)大信実業判例の事案は、関係部分の要旨を「当初の無許可輸出罪の訴因につき第一審で無罪とされ、検察官が控訴したが、控訴審でも罪とならないとされ、ただ外国為替及び外国貿易管理法の無承認輸出罪の成立する余地があるとして破棄差し戻した判決に対し被告人のみが上訴した場合には、上告審が職権調査により右訴因を有罪とすべきものとして破棄差し戻し、または、みずから有罪の裁判をすることは許されない。」とするものであつて、無許可輸出罪と無承認輸出罪がともに有罪とされれば、両者は観念的競合の関係にあるものと解すべき事案である。
右大信実業判例の事案においては、無承認輸出罪の訴因がいまだ設定されていないため、新島ミサイル判例との比較にやや難を覚えるが、当初から無許可輸出罪及び無承認輸出罪の各訴因が観念的競合の関係にあるものとして起訴され、控訴審において、前者につき無罪、後者につき有罪の判断がなされた場合と実質的に択ぶところはなく、そのように考えれば、控訴審と上告審との差違があるだけで、両判例における問題の所在には共通性が認められる。すなわち、右両判例から言えることは、下級審において科刑上一罪(観念的競合若しくは牽連犯)又は包括一罪の一部が無罪とされた場合において、被告人のみが有罪部分につき上訴したときは、右無罪部分については、被告人には上訴の利益がなく、検察官の上訴申立てもないのであるから、当事者間においては攻防の対象から外されたものとみるべきであつて、上級審の職権調査により有罪の判断をする余地は失われるということである。
然るところ、本件においては、右判例理論又はその趣旨の及ぶ範囲を確定しさえすれば足りるのであるから、右判例の理論的根拠についての立ち入つた考察は暫く措くこととする。
その範囲に関して言えることは、およそ実体法的に一罪とみられる訴因の一部について、訴訟法上当事者間における攻防の対象から外されるという以上、少なくとも当該部分が当該事件の審判においてその余の部分と異なる取扱いを受けるに足りるだけの可分性を有することが当然の前提となるということであろう。この「可分性」という概念も相対的であつて、一部上訴との関係では、併合罪につき一個の主文が言い渡された場合にも上訴は不可分とされるし、また、考えようによつては、単純一罪(たとえば、同一の機会に同一の被害者から腕時計一個と現金一万円を窃取したという事例)であつても、その一部につき、他の部分と区分して審理、判断することができるとも言い得よう。そこで、右判例が、どのような場合に当事者間における攻防の対象から外されたとみられる程度の可分性を有すると判断したものであるかは、結局、各判例に現われた具体的事例によつてこれを推知する外ないこととなる。
そこで、各判例に現われた具体的事例を検討すると、その一は科刑上一罪(観念的競合又は牽連犯)の場合であり、その二は包括一罪の場合である。
科刑上一罪は、実体法上は数罪であつて、単に科刑上の処理としてそのうち最も重い刑によつて包括的に処断するというに過ぎず、軽い罪が重い罪に吸収されて独立性を失うという意味ではないから(最高裁判所昭和二三年五月二九日第二小法廷判決、刑集二巻五号五二一頁参照。)、科刑上一罪を構成する各部分は、実体法上はそれぞれ一個の犯罪構成要件を充足し得るものであり、訴訟法上もそれぞれ訴因として独立し得るものである。
包括一罪は、右科刑上一罪の場合と異なり、実体法上も一罪であると考えられている。しかし、その内容は多義的であつて、広義においては、科刑上一罪の一つであつた旧連続犯(昭和二二年法律第一二四号による削除前の刑法五五条)に相当する場合の一部までも包含している。新島ミサイル判例に現われた事例は、いわゆる狭義における包括一罪(同一構成要件内に規定された数個の行為態様に該当する一連の行為)に該る場合であるが、注意しなければならないのは、それが暴力行為等処罰に関する法律一条違反の罪であることである。同罪は、刑法二〇八条(暴行罪)、二二二条(脅迫罪)又は二六一条(器物損壊罪)に対してこれを加重し又は非親告罪とする特殊な類型であつて、このような特殊な要件がないとすれば、それぞれ刑法の各本条により各別に処断されることとなる点において、通常の狭義の包括一罪の場合(たとえば、犯人蔵匿・隠避罪、逮捕・監禁罪、賄賂要求・約束・収受罪など)とはいささか趣を異にし、実質的な数罪性が濃厚である。それ故、新島ミサイル判例は、通常の狭義の包括一罪であつて数個の行為態様に該当する一連の行為があつた場合には、数個の罪が各別に成立し牽連犯や連続犯となるものではなく、これを包括的に観察して単純な一罪が成立するものと解すべきであるとするのが大審院以来の確立した判例であるにもかかわらず(たとえば、最高裁判所昭和二八年六月一七日大法廷判決、刑集七巻六号一二八九頁)、暴力行為等処罰に関する法律一条違反の罪に関しては、それが「包括一罪を構成するものであるにしても、その各部分は、それぞれ一個の犯罪構成要件を充足し得るものであり、訴因としても独立し得た」旨説示しているものと解されるのである。すなわち、新島ミサイル判例は、実体法上も一罪である包括一罪のすべてについて可分性を肯認したのではなく、暴力行為等処罰に関する法律一条違反の罪のように、同条違反の数個の行為が、同条の犯罪構成要件は包括的に一回しか充足していない場合であつても、加重ないしは非親告罪の類型とされる以前の刑法各本条所定の犯罪構成要件をそれぞれ充足していると見られる特殊な場合に限つて、その実質に着目し、その可分性を認めたものというべきである。
以上を要約すれば、新島ミサイル判例及び大信実業判例に示された理論が適用される範囲は、有罪とされた部分と無罪とされた部分とが可分な場合、すなわち、右各部分がそれぞれ一個の犯罪構成要件を充足し得、訴因としても独立し得る場合であつて、具体的に右要件を充たし得るのは、右各部分が実体法上の数罪である科刑上一罪(観念的競合又は牽連犯)を構成する場合及び包括一罪のうち実体法上の数罪に準じて考えられるような実質を有する特殊な関係を構成する場合に限られることとなり、また、右各判例の趣旨が妥当する範囲としては、たとえば、広義における包括一罪のうち、科刑上一罪の一種であるかつての連続犯に相当すると認められるような場合が考えられるということになろう。
これを本件について見ると、第一次第一審において無罪とされた本位的訴因及び有罪とされた予備的訴因は、いずれも業務上過失傷害罪という単純一罪であつて、それぞれの訴因について見ればその全体が犯罪構成要件を一回充足し、訴因として独立していると言えるのみであつて、その内部に、一個の犯罪構成要件を充足し得、訴因として独立し得るような数個の部分を含むものではない。所論は、本位的訴因と予備的訴因とを一体のものとして考え、各訴因はそれぞれ一個の犯罪構成要件を充足し得、訴因としても独立し得たと論じているが、これは明らかに誤りである。いやしくも一個の訴因として構成されている以上、それが一個の犯罪構成要件を充足し得るのも当然なら、訴因としての独立性を有することも当然のことであるが、本位的訴因と予備的訴因とを併せたものを一個の全体と観念し、各訴因をその全体を構成する部分であると考えることはできない。互いに両立し得ない関係にある二個の訴因は、それぞれが一個の全体なのであつて、第一次第一審判決は、本位的訴因につき全部無罪、予備的訴因につき全部有罪との判断をしたものであり、一部無罪、一部有罪との判断をしたものではない。従つて、本件は、新島ミサイル判例及び大信実業判例によつて示された理論が適用され、あるいはその趣旨が妥当する範囲内にあるものということはできず、各判例の事案とは次元を異にするものというべきである。
しかしながら、本件においても、第一次第一審裁判所に二個の訴因が係属して審判の対象となり、その一方について無罪、他方について有罪の判断がなされ、無罪とされた訴因については、被告人には上訴の利益がなく、検察官からの控訴申立てもないという事態を生じているのであるから、右各判例の場合とは次元を異にするものがあるとはいえ、右各判例の趣旨を推し及ぼすことにより、無罪とされた訴因については、第一次控訴審における当事者間の攻防の対象ないしは控訴審裁判所の職権調査をなし得べき範囲から外されたものと考え得る余地はないかについても、念のため検討しておく必要があるものと思われる。
然るところ、本件で審判の対象とされた二個の訴因は、本位的訴因と予備的訴因という両立し得ない関係にあるのであつて、かかる場合、訴因、すなわち公訴事実に関する検察官の主張としては二個あるいはそれ以上存在し得ても(相容れない事実の仮定的併列が許されるのは、それが、事実そのものではなく、事実に関する主張に過ぎないからである。)、その背後にある実体的真実は、唯一にして不可分の存在であるものといわなければならない。そして、本性的訴因と予備的訴因とは、唯一不可分の事実の訴訟追行面への投影である以上、表裏一体をなす不可分のものとして取り扱われるべきであり(さきに、両者を併せて一個の全体と観念することはできないと述べたのは、同一平面での併立が認められない趣旨であるから、本文と意味合いを異にするのはいうまでもない。)、従つて、被告人のみが予備的訴因についての有罪認定を不服として控訴した場合であつても、両訴因とも控訴審に移審係属すると解すべきはもとよりのこと、検察官による明示的な訴因の撤回がなされない限り、控訴審において、本位的訴因が当事者間における攻防の対象から外されたものと見ることも相当ではない。すなわち、この場合には、量的に可分な複数の事実の一部ではなく、単純一個の事実全部についての認定が争われているのであるから、当事者間において、訴因の一部を攻防の対象外におくことにより、裁判所の自由心証を制約することを認めるべきではないし、また、検察官において、予備的訴因につき有罪の判断を得たことに一応満足して控訴の申立てをしなかつたとしても、本位的訴因についての有罪裁判の請求を完全にかつ確定的に放棄したものとは認められず、控訴審において予備的訴因が排斥されたときに備えてなお維持しているものと見るのが自然な意思解釈である。現に、本件第一次控訴審において、検察官は、答弁書の中で、予備的訴因についての事実誤認を主張する弁護人の論旨に反駁しているだけでなく、本件の証拠関係からすれば、本位的訴因につき証明がないとした第一次第一審判決の認定には到底承服し難い旨主張しているのであつて(この部分について、被告人側が異議を述べた形跡はなく、裁判所も検察官の陳述を許している。)、ことの当否はともかく、検察官に本件本位的訴因を維持する意思のあつたこと、従つて、これを攻防の対象から外す意思のなかつたことは明らかである。
ちなみに、予備的訴因につき有罪が認められた以上、検察官には本位的訴因を主張して上訴する利益がないとする見解もないではないが、これには左袒するを得ない。検察官において、二個の訴因の間に主従の順位を付して主張している以上(それが、法定刑を異にする別個の罪名に該る場合はもとよりのこと、本件におけるように、同一罪名であつて犯情を異にするに過ぎないような場合であつても)、予備的訴因につき有罪が認められたのみでは、検察官の主張が十全に貫徹されたものとはいえず、検察官としては、なお本位的訴因につき有罪と認められるべきであることを主張して上訴する利益があるものと解するのが相当であり、この理は、検察官において、裁判所の命令により予備的訴因を追加した場合であると、任意にこれをなした場合であるとを問わないものというべきである。けだし、裁判所の訴因変更命令に形成力を認め得ない以上、裁判所の命令を契機とする場合であつても、それはあくまで検察官の意思によるものといい得るし、他方、検察官が任意になした形をとる場合であつても、それは裁判所の釈明処分、示唆ないし勧告を契機とするものが多い実情に鑑みるときは、形式的な裁判所の命令の有無に結論を左右するほどの意義はないと解すべきだからである(同旨、東京高等裁判所昭和四〇年六月三日判決、高刑集一八巻四号三二八頁。なお、同庁昭和四三年四月九日判決、判例時報五二三号八七頁は、検察官が任意に予備的に訴因を追加した場合には消極に解すべきものとしているが、具体的事案が裁判所の命令があつた場合に属するため、右の説示は単なる傍論に過ぎないものというべきである。)。のみならず、たとえ検察官が独立に上訴の利益を有せず(たとえば、択一的訴因の場合)、あるいは、本件のように、上訴の利益はあるにせよ現実に上訴権を行使しなかつた場合であつても、被告人の控訴によつて控訴審に事件が移審、係属したときには、検察官としては、積極的・能動的に、原審で認められなかつた訴因につき有罪であることを主張して原判決の事実誤認をいうことが許されないのは当然としても、受動的に、控訴審において原判決の有罪認定が破棄された場合には、原審において検察官の主張していた他の訴因につき有罪の認定を得られるよう、その主張を維持する利益は肯認されて然るべきであり、これを認めたとしても、控訴をした被告人に不当に不利益を科することになるものということはできない。
以上のように、本件は、新島ミサイル判例及び大信実業判例によつて示された理論あるいはその趣旨が直ちに妥当する場合ではなく、これを更に押し及ぼして見ても、本件本位的訴因が第一次控訴審において当事者間の攻防の対象から外されたものと見るに由ない事案である。
所論は、本件本位的訴因が第一次控訴審において当事者間の攻防の対象から外されていることを前提としつつ、それが差戻後の第二次第一審においても当事者間の攻防の対象となり得ないことの根拠として、ドイツ刑事訴訟法における一部確定力の理論を援用している。所論の前提が認められないことは右に述べたとおりであるが、所論一部確定力の理論は、むしろ、所論の前提とする部分、すなわち第一次控訴審において職権調査の範囲が制約されることの理論的裏付けとして援用されているのが実情であるから、この点について若干付言すると、彼我の法制の差異を度外視して、我国の刑事訴訟法の解釈上も、所論一部確定力の理論ないしはこれに類似した思考方法を取り入れる余地があり得るものと仮定しても、少くとも本件のような場合には、その適用が否定されることは明らかである。すなわち、さきに述べたように、本位的訴因と予備的訴因とは、表裏一体をなす不可分のものとして取り扱うべきであるから、その間を垂直的に分断して本位的訴因につきいわゆる垂直的一部確定力を認めるに由なく、また、被告人が事実誤認等を理由に控訴を申し立て、事実問題が控訴審における審判の対象となつている以上、事実問題と法令解釈適用ないし量刑問題との間に、いわゆる水平的一部確定力を論ずべき余地は既に失われているからである。
最後に、所論は、第二次第一審(原審)の審理経過に徴しても、本位的訴因については、当事者間の攻防は殆どないに等しいのであつて、原審の本位的訴因による有罪認定は、被告人に対する不当な不意打ちであると主張するが、原審における審理経過はさきに詳細に摘録したとおりであつて(前記二の6参照。)、主張、立証の両面から見て、本位的訴因が当事者間の攻防の対象から外されていたものとは到底認め難く、所論はその前提を欠くものといわなければならない。
3 破棄差戻判決の拘束力について
さきに引用したように(前記二の5参照。)、第一次控訴審判決は、予備的訴因における注意義務の存在を争う法令解釈適用の誤りの論旨に対しては、本件道路及び交通の状況から、被告人には、発進に際し、「自車の周辺を注視し、とくに自車左側の歩行者自転車等の有無及び動静に留意しその安全を確認すべき注意義務」があつたことを一般論として肯認しながら、事実誤認の論旨に対する判断においては、具体的な状況下において被告人に右注意義務に違反する過失があつたものというためには、「被告人車の発進時に被害者の深沢車が現に被告人車の左側にあつたか、あるいは被告人車の左側に進入しようとしている状態にあつてそれを被告人が現認し得る状態にあつたことが前提となるところ」、右前提事実を認定するには、「原審で取り調べた証拠による限りなお合理的な疑いが残るのであつて、その解明のためにはさらに本件の具体的状況に則した検証等の証拠調が必要と認められるから、この段階で被告人の過失を認めた原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある」として、第一次第一審判決を破棄し、本件を原審に差し戻しているのであるが、右事実誤認の論旨に対する判断過程において、被害者深沢雄一が被告人車の前面を横断したものであるか、その後方から左側を併進したものであるかについては、本位的訴因に沿う同人の供述と、予備的訴因に沿う証人中村信子の供述とが「互に対立するが、深沢の傷害の部位、転倒した自転車の位置等を勘案しながら深沢の証言内容と第三者である中村の証言内容とを対比検討するときは、原判決の詳細説示するとおり、中村の証言を措信すべきものと認められる」旨説示し、予備的訴因に依拠した第一次第一審判決の事実認定を支持している。すなわち、第一次控訴審判決は、その説示する順序に前後はあるものの、まず、記録によつて被害者深沢雄一の進行経路は、予備的訴因のとおり、被告人車の後方からその左側を併進したものである旨の第一次第一審判決の事実認定を是認し、これを前提として、被告人の自車左方に対する安全確認義務の存否ないしはその違反の有無を論じているものと解される。
そこで、第一次控訴審において本位的訴因が当事者間の攻防から外されたか否かとは別次元の問題として、現に第一次控訴審判決が被害者の進行経路(すなわち事故発生の態様)に関し、予備的訴因に依拠した第一次第一審判決の認定を是認する判断を示している以上、そのことが差戻後の第二次第一審である原審の事実認定にどのような拘束力を及ぼすものであるかを検討すべきこととなる。
然るところ、原判決の援用する最高裁判所の判例(昭和四三年一〇月二五日第二小法廷判決、刑集二二巻一一号九六一頁。いわゆる「八海事件」第三次上告審判決)の明示するように、上級審の判断は、破棄判決の破棄の理由とされた事実上の判断についても拘束力を生ずるが、右拘束力は、破棄の直接の理由、すなわち原判決に対する消極的、否定的判断についてのみ生ずるものであり、右判断を裏付ける積極的、肯定的事由についての判断は何ら拘束力を有するものではないと解するのが相当である。このことは、上級審と下級審との判断の不一致により、事件が限りなく審級間を上下することによる遅延を防止するという、裁判所法四条の趣旨から直接導かれる解釈であつて、破棄の理由となつた上級審の判断が事実上の判断であると法律上の判断であるとによつて結論を異にするものではない(法律上の判断に関し、右と異る見解を説示するものとして東京高等裁判所昭和五八年一二月一五日判決、判例時報一一〇〇号四一頁が見られるが、事案の具体的事実関係に照らすと、右説示は、単なる傍論の域を出るものではないと解されるうえ、その理由付けについても、左袒するを得ないものがある。)。
これを本件について見るに、第一次控訴審判決は、第一次第一審で取り調べた証拠による限り、被告人が自車を発進させた時点において、被害者の搭乗する自転車の存在を現認ないし予見し得る状態にあつたものと認めることはできず、この点の証拠調べを尽くさないまま、被告人の過失を肯認した第一次第一審判決には重大な事実誤認があることを破棄の理由としているのであるから、差戻審において更に証拠調べをなしたうえ、右現認ないし予見の可能性を肯認し得ない限り、被告人の原判示過失を認定することは許されないとする消極的、否定的判断についてのみ、第二次第一審を拘束するものであつて、右判断の前提となる被害者の進行経路についての積極的、肯定的判断、すなわち、被害者が被告人車の後方からその左側を併進したものである旨の第一次第一審判決の事実認定を是認する判断には、拘束力を生ずるものではないと解すべきである(ちなみに、第一次控訴審判決のいう「被告人の過失」の意味は定かでなく、被害者の動静を捨象した一般的注意義務の存否と、具体的状況の下における右注意義務の懈怠の有無とを別個に観念しているかの如くであるが、具体的状況の下において被害者の存在を現認ないし予見する可能性がなかつたとすれば、そもそも具体的注意義務設定の前提を欠くことになるのであるから、右説示は、注意義務の懈怠の有無のみならず、注意義務の存否そのものを問題とする趣旨に理解すべきであることについては、さきに二の5において触れたとおりである。)。従つて、原判決が本件本位的訴因につき有罪の判決をしたことは、第一次控訴審裁判所の破棄判決の拘束力に反するものではないというべきである(なお、最高裁判所昭和四八年三月二二日第一小法廷判決、刑集二七巻二号一六七頁参照。)。
4 結語
前記2、3に縷説したところを要約して結論を示せば、前記1に説示したとおりであり、原判決は、これと同旨の判断を示しているのであるから、原審の訴訟手続に所論法令違反はない。論旨は独自の法解釈に立脚するものであつて、理由がない。
第二事実誤認の主張(控訴趣意第三、第四)について
一 論旨の大要
論旨は、要するに、(一)原裁判所は、差戻後の事実審理において、従前の証拠関係に実質的に変動を生じたことを採証・経験・論理の各法則に従つて是認するに足りるだけの新資料が得られていないにもかかわらず(最高裁判所昭和二六年一一月一五日第一小法廷判決、刑集五巻一二号二三七六頁、東京高等裁判所昭和三五年二月一八日判決、高刑集一三巻一号八〇頁、同庁昭和三四年二月二八日判決、高刑集一二巻二号八七頁等参照。)、第一次第一審判決が措信すべきものとし、第一次控訴審判決がその判断を正当として支持した証人中村信子及び被告人の各供述を全面的に排斥し、証人深沢雄一の供述に依拠して本性的訴因につき被告人を有罪と認定したものであつて、法令、判例に違反して上級審の判断の拘束力を無視し、証拠の評価を誤つて事実を誤認したものであり、かつ、(二)差戻後の事実審理の結果によつても、予備的訴因につき第一次控訴審判決が指摘した疑問点、すなわち、被告人が自車を発進させるに際し、自車左後方に深沢車を現認し得たか否かの点は依然として解明されておらず、また、第一次控訴審において弁護人が争つたが判決では判断を省略された争点、すなわち、被告人車が直進しているにもかかわらず、深沢車と接触しているのは、被害者の自招行為が原因となつている疑いがあるとの点についても、検察官の立証は尽くされていないから、結局、予備的訴因における過失の内容をなす客観的予見可能性、結果回避可能性のいずれについても証明がないことに帰し、被告人は無罪である、というのである。
二 当裁判所の判断
所論中、原判決が上級審の破棄差戻判決の拘束力に牴触する判断をしたとの主張については、さきに判断したとおりである(前記第一の三の3参照。)。
そこで、事実誤認の主張について検討すると、第一次第一審及び第一次控訴審の各判決にもかかわらず、原判示事実(但し、「加療約一〇か月間」とあるのが、「加療約二〇か月間」の明白な誤記と認められることについては、さきに指摘したとおりである。前記第一の二の6参照。)は、原判決挙示の各証拠を総合して優にこれを肯認するに足りるのであつて、所論に鑑み、関係記録を精査し、当審における事実取調べの結果を併せ検討して見ても、原判決の証拠の取捨、推理判断の過程に誤りがあるものとは認められない。
以下、所論に鑑み、個々の論点につき補説する。
三 補説<省略>
5 結語
叙上の次第であつて、原判決の認定した事実についての事実誤認の論旨は、すべて理由がない。
よつて、予備的訴因の成否についての論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 草場良八 裁判官 半谷恭一 裁判官 龍岡資晃)